小さな石6個を6人がひとつずつ持ち、5年毎に引き継ぎながら1300年間ただ持ち運ぶ。
日本の国東半島を起点に西暦2014年に開始し1300年後の西暦3314年に成立する、長い長い行為の連なりです。
この文章は西暦2014年に書かれています。あなたがこれを目にしている今日は、それから何年が経っているでしょうか?ひょっとするとこの文章には、あなたの生きる現在では実感を持ちにくい感覚も含まれているかもしれません。できるだけ想像力を働かせて読み進めてくださると嬉しいです。
さて、これらの石は、最初に持ち運ぶ6人によって選ばれて名付けられた何でもない石です。これらの石は宝石のような稀少価値もなければ、名工による彫刻でもなく、宗教的な歴史をもった遺物でもありません。たんなる落ちていた石です。石の特質上なにかしらの工作を施さない限り、何年経っても何千年経っても、そのへんに投げ戻してしまえば、ただの石にもどります。
なんでもないものを使っているのは、この作品における原動力を「想像力」に限定したいがためです。祝祭で期待される高揚感や、疫病や災害を追いはらった神通力、闘争を勝ち残った政治性など、神仏への祈りや政治的階層へとつながる垂直方向への高揚感を放棄し、人間の持つ「想像力」だけに原動力を限定しようとするプロジェクトです。とは言え、いくつかの偶然が重なって、石を持っている人達が高い頻度で国の宰相になったり世界的な賞を穫ったりしたら、急にありがたがられてしまったり、悪い出来事によって急に忌み嫌われてしまったりもするかもしれません。しかし、基本的にそれら垂直方向への高揚感とは別の、人間が人間のことを考える水平方向への「想像力」に焦点をあてるべきだと考えました。次に引き継ぐであろう人への想像力、過去に持ち歩いたであろう人やその環境への想像力、同時期に違う場所で同じ経験をしているであろう人への想像力、石を持たずとも現時点で誰かが石を持ち歩いているんだという、水平方向への「他者への想像力」と、それらの想像力に支えられた、持ち歩くという最小限の労働に構成されて成立する「作品」です。さらに加えて、その「想像力」を加速させる為、石を持ち歩く人は、直接その石を視ないようにしたいと思います。そのため、石には金属製のカヴァーが施されています。その過程でもその石は誰にも視られぬよう細心の注意が払われました。ですので、1300年後までこの行為が続いた場合、初代の石を持ち運ぶ人が拾った時点で視た以外は持ち運ぶ人もまたそれを視る事ができない設定です。実際に視る事よりも視ない事の方が、より「想像力」への助けとなりうるであろう、という文字通り「意思」を持ち運ぶ人々の想像力を助長する装置としてこの事を加えました。
1300年という月日は、人間が簡単には見通せない年数として設定しました。仁聞菩薩が国東半島に六郷満山を開いたとされる西暦718年から西暦2014年現在までの1296年間、よりも少しだけ長い年月です。簡単には見通せないけれど、歴史に照らし合わせて想像する事だけは可能な年月として定めました。長い年月としては100万年と言っても良いかもしれませんし、100年だって十分に長い年月ですが、100年や200年だと、その間に起きてしまう問題を想定したところで、どうしてもテクノロジーによる解決が頭をよぎります。逆に100万年と言ってしまうと、人類が存在するかどうかわからないほどの途方もない長さに私たちの脳は閉じていってしまいます。とても長い年月でありながら、テクノロジーでは決して届かない部分を、人類に対する漠然とした愛によって補わなければ想像力が辿り着かない年月として、1300年がちょうど良かったのです。また、今の私たちは1300年前から変化した事や変化していない事について現存する文献や造形物などから様々な方法で理解する事が可能です。パソコンや携帯電話が開発されたのが約40年前、飛行機が100年前、自動車で200年前。500年前には当時のヨーロッパの天才達が真剣に「この針の上に天使が何人乗れるか」を議論し、1000年前の日本には「気軽に人を呪い殺してはいけない」という詔命が度々だされました。天使や呪いが科学的存在として当然のように語られた年月をさらに上回る1300年という月日は、物の道理や科学的事実、それらによって生成された価値観が、現在からは想像つかないぐらいの変化をしているはずです。だとすると、まずはこの場で使用している「作品」という呼び名から変えなければならないでしょう。なぜなら1300年後には「作品」という概念も間違いなく現在とは大きく変化しているはずです。例えばたった100年前にマルセル・デュシャンという人がレディ・メイドという概念を発明し「作者」不詳の既製品さえも「作品」である、という風に概念を拡張してしまったし、たった150年前の人は、シャッターを押せば画像が映る写真というメディアが作者による「作品」と呼ばれる事は想像もしなかったことでしょう。この石を運ぶ行為も、あっという間に彫刻としての石彫に数えられるかもしれないし、2014年現在において、顔料という鉱物を亜麻仁油やアクリル樹脂などの溶剤(メディウム)で支持体に配置させることを絵画と呼ぶならば、地球を支持体に人間をメディウムとして鉱物である石を配置させるこの行為も後に絵画と呼ばれてしまうかもしれません。
では、絵画でも彫刻でも良いのですが、この行為はいったいどの「作者」の「作品」なのでしょうか?思いついた人なのか?始めようとした人なのか?初代の石を持ち運ぶ人なのか?持ち運んだ人全員なのか?当事者以外の全員なのか?きっと現在の価値観で設定したところで、1300年後には「作者」や「作品」の概念は、大きく変化しているはずです。なので、この行為が未来にどのように呼ばれるかは未来の人に任せる事にしましょう。ここでできる事はまず、1300年間の概念/価値観のゆらぎに耐えられるように少なくとも「作品」という名と「作者」という呼び名を放棄し、石を持ち運ぶこの行為と石を持ち運んでいる人を総称して「イシモチ」、その世話をする僕の立場を初代の「セワヤク」としたいと思います。
1300年後には「作者」としての私は実際消えてしまうでしょうし、水平な「他者への想像力」の純度を上げる為にも、できるだけ早く「作者」が消える事が、この「イシモチ」する事にとって良い事だと思っています。と、同時に、石の行き先を把握している人が必要なので、この石の正史には一切載らない立場の人間として私を含む私の一族の未来を供出し、代々管理に努めることにします。そして、単純計算で1個の石に、1300年÷5年=260代、関わった全てのイシモチを記録した石系図(イシモチの氏名・生まれ年・受け取った時点で住んでいる国県市町村・受け取った時点での職業/肩書き)を3種類の方法で保存し更新し公開していきます。3種類の保存方法は、紙に墨、キャンバスに油彩、デジタルデータ(その時代に有効なメディアと形式で行う・現時点ではウェブサイト https://www.ishimochi.com)を用意しています。また同時に、石が現時点で何処にあるのかを地図で表記したものも見られるようにしようと思います。他にはこの文章や指示に関する文献などを50年毎に現行の日本語とその時点での実質的な国際公用語の二通りに翻訳更新していく作業をします。現時点では英語が妥当と思われる実質的な国際公用語が現在の地図のままとは思えませんし、これが書かれている日本語でさえもたった数十年の経過によって、日本人にさえ読みにくい物になってしまうからです。
以上のようにセワヤクは、大きく変わるであろう価値観や、情報を後世に伝える記録方法、国のアウトラインさえも変わるかもしれない時代の変遷に耐えうる仕組みとしてひっそりと存在させますが、これは完全に裏方としての存在です。「イシモチ」の主人公はあくまでも「他者への想像力」であり、その時々の人間の「他者への想像力」を資源に、現代を起点として始められるものです。
今、世間を見渡してみて、現存する祭事や寺社が、主に遠い過去に由来するものが多いのは、きっと現在よりも過去の方が人間の祈りのリアリティが勝っていたからでしょう。現在において、無病息災という奇跡への祈りの多くが人間ドックに移行したように、医学や科学の高まりに比例して天秤の対である自然への畏怖や祟り/奇跡に対する感受性が一昔前よりも減少し、私たちにとっての祈りのリアリティを引き下げてしまったことは否めません。と言いつつも、どんなにテクノロジーが前時代から発達しても、人生には祈らなければならないような場面があることは承知しています。それでも私は、今こそ、人間の新しく獲得して行くであろう力に焦点をあててみたいと強く思います。私たちはインターネットや携帯電話や格安航空券に代表されるような情報環境や移動手段の発達によって祈りとは別の種類の「想像力」を日々手に入れつつあります。それが祈りに代わるものとなり得るかどうかは現時点ではわかりませんし、そもそもここで言われている新しい「想像力」が、単に祈りと対局にあるものでもないでしょう。しかし「地縁血縁に依らない、より具体的に広く他者を想像する力」の急速な発達が、減少した祈りのリアリティを補完するものに成り得るのではないかと期待しています。ここ何千年も身体の形を大きくは変えていない私たち人類において、物質としての身体にかかる重力の受け皿としての地縁が無くなるとは考えられませんし、自分の血を引き継いでいかなければ人間は生物学的に途絶えてしまいます。ですので、地縁血縁が無くなるなどとは思いません。しかし私は、この「イシモチ」することを通して1300年後を見通した時に、現代以降の人間が、発達し新しく獲得していくだろう力に新しい「愛」の形の拡張性と可能性を感じ、そこに焦点をあててみたいと思いました。
さて、このイシモチは、様々な偶然が重なって日本の国東半島という場所で着想されました。ですので、この1300年の旅をはじめるために、初代の6名のイシモチを、国東半島在住者から①政治に携わる人②宗教に携わる人③学術・芸術に携わる人④農業・林業・水産業に携わる人⑤教育・福祉・医療に携わる人⑥高校生以下の未成年、の中からお願いしました。二代目以降のイシモチの選定は各自のイシモチに任されており、この分野や地域の限りはありません。ですので、今後イシモチがどのようなバランスの人々になっていくのかは私にもわかりませんが、この長い旅の開始をこのバランスを持って始めてみたいと思ったのです。
未来への想像力を具現化する事、身体を含む物質が時空を旅する事、これらの具現化を総称してタイムマシンと呼ぶのであれば、私は「イシモチ」という行為を通して、人間の身体という遅い遅いタイムマシンに乗って人間の未来を肯定してみたいと思います。人間が新しく手に入れて今後も発達するであろう「愛」を起点に作られた、現在に出発点を置く祝祭のようなものを見てみたい、いや、はじめるべきだ、と、使命感にも似たものを感じたのです。
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西暦3314年10月14日、現地時間午前11時00分、日本国 大分県 国東市 国見町 伊美2525-1118(西暦2014年現在の住所表記による)の前の河原に数人の人が集まってくる。例年より遅い台風で大気中の湿気が洗われて少しだけ肌寒い静かな晴天。色づいたイチジクや枝のまま熟した柿、金木犀の路面から秋の甘い香りが漂う。朝に降った小雨のせいで騒がしい川の音と、黒っぽい河原の岩間を蟹やコオロギが出入りしている。
はじめて出会う彼ら彼女らは木陰に入り、少しだけ距離をおいて立っていて、遅れてきた足音へ顔を向ける。定められた時刻が昼食前なのでそのまま昼食をとる事になる。外国の人もいるので何を食べたいかなどを訊きながら、ちょうどいい店を探す。旬な物を食べさせてくれる静かな佇まいの店を見つけ、譲り合いながら入り口をくぐる。小気味よい気まずさのなか簡単な自己紹介と、今しなくても良いようなニュースについて話し、昼食を終えた。
海水と真水が混ざるあたりの少しひらけた河原で車座になる。呑み口の薄い白いカップに入った少し濃いめのコーヒーを飲み終える頃、誰がはじめるでもなく石をとり出す。
ゆっくりと包みを開き、1300年ぶりに外気に触れた石を視る。
十分な沈黙のあと、そのうちの一人が話をはじめた。
2014年1月28日
初代セワヤク 雨宮庸介
Six small stones are carried, one each, by six people, passed on every five years and simply carried for 1,300 years. This long series of actions commenced in the year 2014, starting from the Kunisaki Peninsula in Japan. It will be complete in 3314, 1,300 years after it began.
This was written in the year 2014. How many years have passed until you are reading them now? Perchance, these words that you are reading now may very well feel rather unreal to you. As much as you can, please use your imagination. Well, these stones are perfectly ordinary ones, selected and named by the six people who were the first to carry them. They are neither valuable for being rare, nor sculpted by master craftsmen or relics with religious history. They are stones that were just on the ground. As long as nothing in particular is done to the quality of the stone, even after some years, even some thousands of years, you could throw them back and they would return just to being stones.
Using something perfectly ordinary comes from wanting to confine the driving force of this work to the imagination that humanity possesses, abandoning the exaltation for the vertical elation linked with god-worship or political hierarchies, such as the euphoria we expect from festivities, the supernatural powers to exorcise pestilence or disaster, or the politics of victors. Saying that, due to a series of coincidences, if the people carrying the stones frequently became leaders of state or won international prizes, they might well then suddenly become very appreciated, or even abhorred when bad things happen. However, I considered that fundamentally the focus should be on something different to this exaltation for the vertical—the imagination for the horizontal where humanity considers humanity. This is an artwork created out of the minimum of labor of carrying something and which supports the imagination—imagining the people one assumes will take over, imagining the people and environment where we assume it was carried in the past, imagining the people we assume experience the same thing in a different place at the same time, imagining the other, though not possessing the stone oneself, horizontally, imagining that there is someone right now carrying the stone around with them. In addition, in order to accelerate this imagining, I want the people carrying the stones around with them not to be able to see the stone directly. For this reason, the stones are fitted with a metal cover, and meticulous care has been taken during the fitting process so that the stones were not seen by anyone. This means that if this act continues until 1,300 years from now, it is arranged so that, except for the first-generation of stone-carriers when they picked up the stone, none of the people carrying the stones are able to see them again. This was added as a device for fomenting the imagination of the people carrying an animus, since in fact not seeing is more conducive to the imagination than seeing.
The period of 1,300 years was set so as to be a number so far ahead that it is impossible for people to foresee. It is actually slightly longer than the 1,296 years since the priest Ninmon established the Rokugomanzan chain of temples along the Kunisaki Peninsula in 718. We cannot foresee so far ahead but it is a time frame possible to imagine in the light of history. We might say that one million years is “ages” while a century is long enough, but when it’s 100 or 200 years, we are always reminded of technological solutions when we envisage the problems that will occur in between. By contrast, say “a million years” and it’s so monumentally long—so long we don’t know if humanity will still be around—that our minds shut down. While it is still a long time frame, 1,300 years was the perfect length to be a time where, without our nebulous love for humanity making up for the parts that technology can’t reach, then our imagination won’t go anywhere. It is also possible for us today to understand about what has and has not changed since 1,300 years ago by a range of methods from the literature and forms that exist today. The computer and mobile telephone were developed around 40 years ago, the airplane a century ago, and the car two centuries ago. 500 years ago, the geniuses of Europe debated how many angels can dance on the head of a pin, while 1,000 years ago in Japan there were many imperial decrees against placing a deadly curse on someone without due cause. This time frame of 1,300 years surpasses the age when angels and curses were discussed as if they were scientific realities, and likewise the values we have today that have been born out of reason and scientific facts are certain to change in a way impossible to imagine. If that is the case, should we not then change our use of the word “artwork” to describe this? It goes without saying that in 1,300 years’ time the concept of an “artwork” will have vastly changed from today’s. Take Marcel Duchamp, who invented the concept of “readymade” 100 years ago and who extended the concept by labeling even readymade products by unknown “creators” as “artworks.” And people only 150 years ago would surely have been unable to imagine that by pressing a button on a camera, the medium of the photograph that reflects an image could also be called an “artwork” by a creator. This act of carrying stones might well, before long, be counted as a stone sculpture, and if in the present day of 2014 what we call a painting consists of arranging a mineral known as pigment on a base through the solvents (media) of linseed oil and acrylic resin, then this act of arranging stone minerals on the base of the Earth through the medium of people could very well later on also be called a “painting.”
Well, painting or sculpture, just what kind of “artwork” is this act and who is the “author” of it? The person who conceived it? The person who started it? The first people to carry the stones? All the people who carry the stones? Everyone else who’s not involved? Likely, the concepts of “author” and “artwork” set by our values today will have greatly changed in 1,300 years’ time. Because of this, let’s leave it up to the people in the future about how the act will be called then. What we can do here first is to at least discard the use of the labels “artwork” and “author” so that we will be able to endure the fluctuations of concepts and values over the next 1,300 years. I have called this act “ishimochi” (stone-carrying), while the person who performs the act is also the “ishimochi” (stone-carrier). There is a role that will be called the “sewayaku” (stone-caretaker), who is the person taking care of the ishimochi and I will be the first.
In 1,300 years’ time, I will have disappeared as the “author” and, in order to raise the purity of lateral imagining about others, I think that it is better for our “stone-carrying” if the “author” disappears as soon as possible. And at the same time, since people are needed who have a grasp on the destination of the stones, I will allocate my descendants, including myself, as people completely unrecorded in the official history of the stones, and who will successively handle the management of the stone-carrying. By a basic calculation for one stone of 1,300 years ÷ 5 years = 260 generations, all of the stone-carriers will then be documented in a stone genealogy (with the name of stone-carrier, their year of birth, and residence and occupation when they undertook the stone-carrying) and which will be stored, updated and exhibited in three forms. These three methods of storing will be ink on paper, oil paints on canvas, and digital data (to be operated in a medium and form valid in that era; at present it is the website https://www.ishimochi.com). I also want there to be something where it can be seen described on a map where the stones currently are. And this text and other texts related to instructions will be a translated and updated into the latest Japanese and the practical official lingua franca of the time every fifty years. English is considered the valid international language today, though we cannot assume the world will stay like this, and even this Japanese I am writing in will be hard for Japanese people to read and understand after just a few decades have passed.
The stone-caretaker is to exist quietly as the mechanism for sustaining the vicissitudes of the ages where the values, the methods for documenting and relaying the information onto the later generations, and even the borders of states are sure to change—but this is completely a backseat role. The “imagination for others” is the protagonist of this stone-carrying, with this temporal human imagination for others as the resource, and with the present as the origin.
Surveying the world today and the rituals and shrines and temples that exist now, the reason there are so many things derived from the distant past is that, more than the present, it is in the past that the reality of human worship emerged superior. Like how in the present much of the worship of the miracle of health has migrated to medical checkups, the sensitivity towards vengeance/miracles and awe of nature on the opposite side of the scale has decreased since long ago in proportion to the rise of medicine and medical science, and it cannot be denied that for us the reality of worship has been relegated. Even so, regardless of how far technology develops, it is agreed that there are situations where life requires prayer. On the other hand, I feel strongly that now of all times I want to focus on this human power that seems to be being acquired anew. Through the development of the means of transport and information environments as represented by the internet, mobile telephones and cheap airfares, we are acquiring new forms of imagination that are different to prayer on a daily basis. We cannot tell at the present time whether this can become a substitute for worship or not, but this new “imagination” is surely not just something that will compete against prayer. However, the rapid growth of this wide, more concrete imagining of the other not based on blood or communal ties is expected to become something that supplements the diminished reality of prayer. For the human race, whose physical form has not greatly changed for thousands of years, we cannot imagine the loss of our bonds to the locale, which take on the gravity on our bodies as physical matter, and if our own blood is not continued, then humanity will cease. This is why I do not think that our blood and communal ties will disappear. However, through this stone-carrying, when forecasting 1,300 years from now, I feel the expandability and potential of the new form of “love” in the power that humanity will surely develop and newly acquire from now, and I wanted to focus on that.
Now, this stone-carrying was conceived by a series of coincidences in the Kunisaki Peninsula in Japan. For this reason, in order to start off on this 1,300-year journey, I asked six residents of Kunisaki from the following areas to be the first generation of stone-carriers: Someone involved with politics; someone involved with religion; someone involved with academia and the arts; someone involved with agriculture, forestry and fishing; someone involved with education, welfare and medical care; and a minor of high school age or younger. The selection of the stone-carriers from the second generation and onwards will be left to each stone-carrier and there will be no restrictions on fields or region. For this reason, I cannot tell how the proportions of the future stone-carriers will turn out, yet I’d like to start this long journey off with this balance.
Making imagination for the future concrete matter, including the body, journeying through time and space—if we might label these forms of embodiment together as a “time machine,” then I would like to ride in this rather leisurely time machine of the human body and affirm the future of humanity through this act of stone-carrying. What I feel is something akin to a sense of vocation, originating from “love,” and which humanity will surely newly attain and evolve further in the future. It is something like a festival that I want to see with the present as the departure point—no, something that should be started anew.
In the year 3314 on October 14th at 11:00, a few people will gather at the riverbed in front of the following address: Japan, Oita Prefecture, Kunisaki City, Kunimi-cho, Imi 2525-1118. (Address as per 2014 notation system.) The humidity in the air has been washed away by a typhoon, arriving later than usual; the skies are quiet, ever so slightly cold. From the road of lush figs, ripened persimmon trees, and kinmokusei olives wafts the sweet fragrance of the autumn. The sound of the river is noisy from the morning drizzle, and the crabs and crickets come and go between the rocks of the black riverbed.
They are meeting for the first time as they come in under the shade, standing a little apart from each other, turning towards the footsteps of those arriving late. The time set for the meeting is just before lunch so they will eat together. Among the people there are non-Japanese too, so they ask each other what they’d like to eat and search for the right restaurant. They find a tranquil place where they can eat seasonal dishes, and go inside one after the other. As they finish their meal they give simple self-introductions that are awkward yet piquant, and talk unnecessarily of certain tidings.
They form a circle in a slightly open part of the riverbed where fresh water and salt water flow together, and after finishing off some strong-ish coffee in white thin cups, they slip out of their stones, all together, slowly unwrapping them, and take a look at the stones now coming into contact with fresh air for the first time in 1,300 years.
After enough silence has passed, one of them starts to speak.
January 28, 2014
Amemiya Yosuke (Stone-Caretaker #1)
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火の鳥の涙Phoenix tears ● |
両Twin ● |
渚小雨石Nagisakosameishi ● |
4715823号No.4715823 ● |
Alara-3alara-three ● |
すずらんLily of the valley ● |
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三河 明史 b.1949 日本国大分県国東市 市長 |
寺田 豪淳 b.1978 日本国大分県国東市 僧侶 |
松岡 勇樹 b.1962 日本国大分県国東市 建築家/会社社長 |
岸田 和章 b.1967 日本国大分県国東市 果樹農家 |
坪井 峯男 b.1946 日本国大分県国東市 医師 |
吉武 蓮太郎 b.1997 日本国大分県国東市 高校生 |
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2019 │ 2024 |
三河 明史 b.1949 日本国大分県国東市 市長 |
寺田 豪淳 b.1978 日本国大分県国東市 僧侶 |
谷 知英 b.1984 日本国大分県国東市 写真家 |
河村 任 b.1969 日本国大分県国東市 公務員 |
坪井 竜一 b.1976 日本国大分県国東市 役員 |
藤巻 七海 b.1997 日本国東京都国分寺市 団体職員 |
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寺田 豪淳 b.1978 日本国大分県国東市 僧侶 |
小野 豊一 b.1982 日本国大分県国東市 染色家 |
河村 萌 b.1998 日本国大分県速見郡日出町 小学校教員 |
岡 美希 b.1984 日本国大分県国東市 陶芸家 |
德正 磨琴 b.1995 日本国東京都中野区 システムエンジニア |
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